1997(69歳)
念願の天文台を伊香立のアトリエの屋根に作る。
「NICAF第5回国際コンテポラリーアートフェアー」東京ビッグサイト東4ホール
「OXYGEN」Oxygen(酸素ボンベ、ガラス、板ドローイング)
「超克するかたち-彫刻と立体」千葉市美術館(千葉)
「村岡三郎新作展送られた熱(体温)」 KENJI TAKI GALLERY(名古屋)
「送られた熱(体温)」 Transmitted Heat-Body Temperature(鉄、銅、体温、電話回線、インターネット他)
体温の熱を電話回線を通じてギャラリーの銅棒の中に投入していく。熱を痕跡ではなく、
実態として具現化する。30年来やってみたいと考えていた仕事。想像の中では、まだ曖昧
な部分が残り、解釈の余地が残ってしまうのではないかと予想していたが、プロトタイプの
銅棒を触った瞬間に、解釈の余地のない直截な表現になっている事に自ら驚いた。
自分は60年掛かってこの作品を作ったのだと実感した。この作品が成立した事によって、
これまでの活動がやっと意味を持つことになる。
「触知」は、村岡にとって存在の根底であると直観されている。子供の頃、夜空を見上げて、
星がきれいだとか思ったことはない。ただ暗闇の恐怖感だけを感じた。そして「恐怖」は、触
覚的だと直観した。触覚を認識のベースに据えることは、健康的なことだと村岡は考える。「感
性」などという曖昧な言葉は、触知をベースにしない限り明確にはならない。
制作活動においても常に「触知」から離れないで思考する。村岡は、自ら「触覚ドローイング」
と呼ぶ独特の方法を常時実践している。左手で喉とか頚動脈とかに触れながら、そのイメー
ジを右手でドローイングする。視覚をほぼ排除した形で、触覚によってドローイングする。
左手も右手も触知だけである。
この系譜には、70年代から行なっている「頚動脈ドローイング」、「遺跡」シリーズ、「負の
鉄」、「負の銅貨」、「熱原理」シリーズ、「熱言語」シリーズ、「Vocal Cord」、「熔断」、「IRON BOOK」、「残留酸素」、・・・。特に「熔断」である明確な手応えを得た。この系譜で重要な小品がある。 1991年の「体温-ジョニー」、「体温-天王寺駅の鳩」、「体温-15才の犬」。この連作のきっかけとなった「体温-ジョニー」は、20年以上前に見た映画「ジョニーは戦場に行った」を思い出して描いている。映画「ジョニーは戦場に行った」は、生存が触覚のみで成立するということを示した作品である。村岡はこの映画を見て、3日間くらい、ジョニーと同じように震えていたという。
「触覚ドローイング」では、常に「不安感」が付き纏う。不安感も恐怖と同じように極めて触覚
的である。村岡は、何かあると必ず「触覚ドローイング」に戻る。触知で宇宙を捉えようとす
る。「触覚」から離れては決して思考しない。これは村岡の「覚悟」である。
「体温」は、会期期間中インターネットを通じて公開され続けた。
「分断された熱」(鉄、硫黄、ガラス)
「第2回東京調査団展記号の重量」和敬塾本館旧細川公爵邸(目白、東京)
「送られた熱(体温)No.2」(鉄、銅、体温、石)
「光州ビエンナーレ」ホール(光州、韓国)
土屋公雄、原口典之とのコラボレーション。
「WALL WORKS」KENJI TAKI GALLERY(名古屋)
戸谷成雄、遠藤利克との壁を使った3人展。
「石炭」Coal 700×162cm、ドローイング162×137cm(石炭、鉄、ドローイング(木炭 on canvas))
タクラマカンで見た「塩」と「石炭」。石炭は露天掘りで直径1m以上の固まりが汽車で運ば
れているのが印象に残った。「塩」の方は早くに作品化したが、「石炭」は、暖めるのに時間が
掛かった。露天掘りで直径1m以上の固まりが手に入らなかったことも影響している。
「村岡三郎展-熱の彫刻物質と生命の根源を求めて」国立近代美術館(東京~京都)
「記憶体」Solidified Memory 20×20×25cm(CD-ROM、銅、体温、心臓音、遺伝子他)
記憶とは当然言葉だけではない。体内音としての心臓音、体温、映像、言葉、そして遺伝子の
記憶装置である精子。表面の傷もまた、記憶の「痕跡」を示している。これらのあらゆる「記憶」を、視覚に頼りすぎるのでもなく、言葉に頼りすぎるのでもなく、触覚、聴覚、嗅覚、視覚
の統合として提示した自刻像。「記憶体」はジョニーである。
貯蔵-記憶。変換された記憶。或は、記憶の閉回路。
現在 大津市本堅田在住