村岡三郎「たしか中学生・・・」

たしか中学生の一・二年の頃だったと思いますが、私は天体望遠鏡造りに熱中したことがあります、といっても、今店頭で見られるような立派なものではなく、反物を巻くボール紙の筒と、安ものの対物レンズ、子供用の顕微鏡の接眼レンズのいくつかを、ほとんど手さぐりで組合せたものです。この時何故天体望遠鏡造りに熱中したのかは、今もってさだかではありませんが、ともかく、私は自分の目で、自作の望遠鏡の暗い円筒の中に、初めて、おぼろげながらクレーターにおおわれた月を見たわけですが、その時の得体の知れない恐怖と感動が、子供の私の体を突き抜けていったことを、今もありありとおぼえています。

他人の夢の話ほど面白くないものはないように、この私の新鮮な思いは、そのまま他に伝わることなく、くやしくも宙吊りになってしまいましたが、しかし後日、このたわいもないことがきっかけとなって、私が自然に改めて目を向ける発端になったことは事実です。ただし私にとってこのことの重要さは、望遠鏡という道具(技術)を通して、恐怖という実感の中で自然に接したということです。

自然と人間との間に介入した技術は、言うまでもなく歴史的に、吾々の自然概念を拡大し、今日なおそれを変形しつつありますが、それについて、ハイゼンベルグは、「未来においては、人間によって人間の手に委ねられた多くの技術は、例えば、カタツムリの殻がカタツムリから不可分であり、クモの巣がクモから不可分であると同様に、人間から分離できないものになっているであろう」と、言いました。しかしこれは、表層的には近代主義的危険性をはらんでいるという批判はまぬがれないかも知れませんが、私は、この人間と自然との間への技術の介入の技術の中に、人間と自然への新たな回路を持つべく、自然への綿密なる洞察が含まれているとみたいのです。

たしかに、今日私達は生な自然と顔を突き合わせる機会は減少しつつあり、それにともなう自然との直接経験(日常性)と、技術によって拡大された不可視な自然像との整合性を欠き、私達の「精神の動きの不安定さ」をもたらしていることは、おおうべくもありません。だからと言って、先に言った新たな回路として、その亀裂を埋めるのに、安直な一見歴史性にもとづいたかにみえる日本的感性がそれにとってかわるものとは私は思いません。それよりも、もともと自然を客体化することにより生まれた技術そのものが、その綿密なる洞察による進展の中で、自ら解体と変更をよぎなくされている事実に着目すべきだと思います。

すなわち自然と人間との関係(世界)を、主体と客体、内部世界と外部世界とに普通の分割が出来なくなったと言うことであり、もはやデカルト的分割が適当でなくなったと言うことでもあります。そしてそれは唯物的概念のとどかない自然像でもあり、私達が日常持ちつづけてきた自然という言葉の意味の変化を根底から突きつけてくるものでもあります。

私は今それに大きな揺さぶりをかけられていますが、少年の頃自作の望遠鏡で初めて月を見た、あの得体の知れない恐怖と感動の記憶の中で、私はそれを甘んじて受け止めていきたいと思っています。そうすることにより、「精神の動きの確実さ」を再び見出せるのではないかと思います。

最後に、あまりにも唐突かも知れませんが、ユーモアという人間と人間との間にしか生まれない高次元な現象は、例えば自然と人間を考える「くそ真面目さ」の果てにしか、立ち現れてこないことを申しそえておきます。

村岡三郎(秋山画廊パンフレットより1985 秋山画廊)