1977年8月美術手帖より(ホヴァリング)
「村上三郎個展(大阪・信濃橋画廊、5・7-7)が画廊の展示室にならべた大がかりなひと組みの作品は「ホバリング〈空中停止〉」というテーマである。いくつかの部分から成り立っているが、まず正面の壁に大きな写真がある。そこには地面をけってとびあがり、できるだけ地表から離れようと深く足を曲げた作者がうつっている。映像ではたしかに体は空中に停止してみえるが、それが一瞬の姿であることはだれの目にも分かる。が、そこに作品全体の主題がまず示されているわけだ。写真の前には鉄の枠とベニヤ一枚大の鉄板で示されたスペースがあり、そこには作者が七三年以来ふたつの分厚い鉄塊をすりあわせつづけている作品がおいてある。それに費やしてきたエネルギー量は多大なものになるはずで、このスペースは作者のホヴァリング装置にとって動力室であり、鉄塊の作品はその燃料を意味する。鉄板の反対側には鉄の椅子があり、そこが作者の観念のなかでは自動制御装置があるところだ。鉄板の上端から流れた数条のシミは、間隔をおいてきざまれた二本の水平の線で一度消え、また流れ落ちている。下降するものの空中停止するさまが、そこでくり返し示されている。椅子の背後からパイプがのび、ややずれて重なった二枚の大きな和紙につながる。そこはこの装置のナヴィゲーション(航行)をつかさどるところだという。以上の説明では分かりにくいだろうが、これは作者にとってはホヴァリングのための装置一式であって、いわば観念のなかで舞い上がり空中停止するヘリコプターである。だがこの一連の装 置(というよりオブジェの連結)をみるだけで、それが空中停止にどうかかわるのか分かるひとはおそらく少ない。しかしいったんその観念的な仕組みが分かると、実物のヘリコプターよりおもしろい面がある。それは動力も観念、航行装置も観念、空中停止そのものも観念であるからだ。一枚の鉄板が観念によって上昇し空中に停止することもできる。この作品の特質は、ただ想像力によって鉄板を浮遊させるさせるのではなく、観念の発動をうながす物質的な手がかりが用意されていることで、そのことは作者の最近の作品に一貫している。物質を否定するのではなく、物質と観念の触覚作用を、両者の現実的(五字不明)関係のうちに生かしまた増殖しようとするところに特色がある。」
(1977年 8月美術手帖)