展覧会「いま芸術は・・・」高橋了
「・・・興味はむしろ翌日のコンプレックス・ワークB「晩餐-人間再現」で舞台にあがる七人の造形作家が、そこでどのようにふるまうかにあった。といってもそれは舞台中央にしつらえた大食卓で洋式の食事をするというだけのことで、その情報がもれたのか、他人がフルコースを食うのを千五百円の入場料を払って当夜見にきたのは、八百八十人収容の客席に数十人にすぎなかった。私としては腹いせに、日ごろナイフ、フォークをそれほど使いこなすとは思えないこの面々が、どんなヘマをするだろうかと目をこらしたが、テーブルの上にキャンドル式の豆ランプ二灯だけでたいへん暗く、そのうえ二階から見おろすから距離があり、何を食っているのかさえさっぱりわからなかった。いわば夜目、遠目がさいわいして食事は一見つつがなく進行したが、あとできくとエビを頭からかぶったもの、そえたレモンをいきなりくったもの、一皿にナイフを三本使ってしまったもの等々とのことだ。やっぱりあがっていたらしい。気がついたことは、テレビや映画の画面でなにかをうまそうにたべるところがアップされたとき、期せずしておこるあの食欲の反応が、このときはさっぱりおきなかったことで、それだけこちらも緊張していたのかもしれない。河口龍夫、村岡三郎、小清水漸、宮崎豊治、今井祝雄、斎藤智、植松圭二によるこの試みは、いろんな動物の食事風景の映写と、七人の心臓音のテープによる再生の音のなかですすめられたが、最も日常的な行為を舞台上にくりひろげるという意図が、そういうアイディアそのことによってまったく非日常的な光景にかわり、相互に緊張した空間をうんでしまった。たべながらかわす会話も芸術論議などをさけて、夢の話とかイヌ、ネコ、おケラの話までつとめて日常的話題を台本なしのぶっつけ本番でもちだしたようだが、ともすると座談会風、討論風となる。結局この催しはなんであったかとあとで考えると、つまりはきわめて動きの少ない退屈な舞台劇であると結論に私は達した。それも次第に食事の様子より、かれらの会話自体に注意がむいてゆき、その会話の中身がどうもとりとめのないものにおわった点からすると、ちかごろ流行らしいその種の前衛劇をかれらは期せずして演ずることになったといえる。それはそれでおもしろい結果だが、コンプレックス・ワークという目標はどこかへけしとび、郷に入れば郷にしたがえではないが、舞台へあがった造形作家たちはきわめて素直に舞台にしたがってしまったことは興味がある。」
(1975年7月美術手帖)