「雑踏のなかで心臓音ドクドク」

「“この偶然の共同行為を一つの事件として”」
時一九七二年七月二十日正午~三十日(午前九時~深夜一時まで􀀀 )
所大阪市南区道頓堀(御堂筋角)「コンドル」およびその一帯
構成店内=テープレコーダー三台(エンドレス・テープ)、ウインドー=オシロスコープ三台、屋上
広告塔=トランペット・スピーカー三台
心臓音録音=阪大病院
協力=谷口一雄
※30日夕、街頭にてその状況を録音(街の騒音と心臓音はほぼ同ホーンである ) 共同行為者今井祝雄、倉貫徹、村岡三郎

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七二年夏・大阪
“この偶然の共同行為を一つの事件として……”と銘打って、さる七月二十日より十日間、私たち三人の心臓音を、大阪ミナミの一角に投入した。大阪のド真中、御堂筋と道頓堀角の喫茶店「コンドル」屋上の、使用されていない広告塔に取りつけられた三台のスピーカーから御堂筋の車道および歩道に向けて、各心臓音が発せられた。
三つの心臓音は複合され、幾とおりかのリズムを繰り返し、街の車の騒音に浸透しながら、朝九時から深夜一時にいたる十六時間毎日その鼓動を打ち続けた。心臓音は店内の三台のエンドレス・テープから屋上のトランペット・スピーカーと歩道脇のウインドーのオシロスコープに連なり、その波動(形)が音の視覚化として示される。またこの店の前に位置する信号により、車の停止する赤の時間には鼓動はひときわ大きく聞こえ青の時間には車の騒音でかき消されそうになる(街の騒音と心臓音は、ほぼ同ホーンである)。
さて街の騒音と心臓音を等価として、美術館や画廊などの特殊な場ではない、まったくの日常空間の中に、果たして偶然の通行人にこのイヴェントがいかに関わっていったか。

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行きずりの通行人の耳に侵入した、この二つの異質な“音”の出会い。それが美術家なる人種の仕組んだことなど、通行人にとってはその“音”以上になんの意味も持たないだろう。そして今回、“美術”や“芸術”という言葉を一切使わなかったことも、通行人にとっては幸い(?)であっただろう。なぜなら、“美術”といったとき、“美術”に関係のない人たちにとっては、それは一つの呪縛でしかないからである。今井祝雄

どうしても個人の制作のなかにつきまとうエゴイズム、秘密の部分、とらえどころのない不気味な部分-そのような人間存在の不気味な部分を切り捨ててみること。そして三人の精神、思考、肉体を自由に交換すること。そのことにより、自我を超越した空間を獲得すること。その空間は三人の自我を超えた響鳴板と化すことにより、限りなく人びとに響存感覚を増殖させ、人びとを至福の恐怖に落下させる……。倉貫徹

波(心臓音)もやはりものであること、そして三人の心臓音(およびオシログラフ)が、私の予想をはるかにうわまわって違っていたこと。
今後このような共同行為を行なうにあたって、次の二つのことを確認し合った。
一、二度と同じ行為を繰り返さないこと。
一、メンバーは流動的であること、その意味で共同体でもグループでもない。

村岡三郎
(1972年10月美術手帖)