村岡三郎「作者のことば」より
「自重」の制作にあたって、当時プランニングを立てたものの制作場所がなく、思い余っていたところ、偶然近所の喫茶店で顔見知りの作家(文筆家)石浜恒男氏と出会い、近況を話しあっているうち、ふと私がその苦況を吐露したところ彼が「私の庭でやったら」と提案してくれた。私は藁をもつかむ思いで早速翌朝彼の自宅に出向いたが、正直なところ少々途方にくれました。というのはその彼の自宅は大正時代に建てられた純日本風の赴きのある古い建物で、大阪ではかなり由緒あるものでした。彼の指摘したスペースは、確かに仕事をするには充分な広さですが、周囲には柿の木、松、紅葉等がほどよく配置され、おまけにその横に月見の出来る珍しい茶室までがあるのです。私がとまどったのは、たとい一時でもその景観と庭を、無惨なものにしてしまうのではないかということでした。そのことを彼に何度も念を押したのですが、彼はにこにこ笑いながら「いいんだ、いいんだ」と言うばかりでした。私は意を決して仕事を始めたのですが、予想どおりその庭は、樹脂と石膏で無惨なものに成り果てました。しかし私は何とかそこで作品を完成させ、宇部の野外に改めて展示したのですが、それからはや20年。今私の脳裏を横切るのは、その庭を荒らしてしまったということよりも、むしろ一時的とはいえ、純日本的庭園とそこに居座った「自重」という作品との奇妙な出会いと、そして、それを黙ってにこにこ見守っていた彼の笑顔です。
村岡三郎「作者のことば」より(「宇部の彫刻」 1993、宇部市)