「負の銅貨-表紙のために」村岡三郎

「ときとして子供は、どうにも親の理解しかねることをするもので、例えば、柱に長い釘を石で打ちこんだり、道端に木切れなどで穴を掘り、そのなかに水を入れて喜んでみたり、なんとも意味のないことに夢中になるものである。おそらく腕白時代にはだれもが経験したことだと思う。

私もその例にもれず、小学校の二、三年のころだったと思うが、一銭銅貨(今での十円玉)を金槌でたんねんに叩き、ぺったんこにして近所の子供と、その大きさを競い合い、もっとも図柄もつぶれて、一枚のいびつな丸い銅板に化してしまうわけだが、それを親父にみつかり、こっぴどくやられたことをおぼえている。

それから三十五年、"三つ子の魂百までも"というわけではないが、今年の三月ごろからふと思いたって、片手間に二枚の十円玉をすり合せはじめたが、どうも子供のころのように無心に、とはいかないまでも、あるときは一生懸命机の上で指が痛くなるまで、また、人と話をしながらズボンのポケットの中でごそごそすり合わしたり、おかげでいまでは片手でかなりうまくやれるようになった。

そんなことはともかくとして、二枚の十円玉がお互いに磨耗し合い、図柄が次第に消え、ただの丸い銅板になり果てていくさまは、なんとも楽しみなものである。しかし、これが表紙にふさわしいか、どうかは少々不安である。」

(1973年11月美術手帖)